“無気力や不安”で不登校になる小中学生が急増中 専門家が指摘する「昔ならあり得ない3つの要因」
がんじがらめのマニュアル
児童が息苦しさを感じるのには、主に三つの要因があるという。一つは、いきすぎた「指導マニュアル」だ。
「近年、それぞれの小中学校は 、スタンダードと呼ばれる独自ルールを事細かに設けています。中には、学校へ持参していい鉛筆は5本と指定していたり、自主勉ノートをやってこなかったら罰を受けると誓約書を書かせたりと、意味不明なルールも見られます。いまは経験不足の若い先生が増えていることもあって、即効性のある指導マニュアルをどこの学校でも取り入れているんです。それにスタンダードを設けていれば、万が一保護者からクレームが入った場合、『他の皆さんも同じように、学校のルールを守って頂いているので、ご了承下さい』と答えることもできますからね。いずれにせよ、生徒がこれを窮屈に感じるのは当然のことでしょう」
同様に、授業のマニュアル化も進んでいるという。
「多くの学校では、答えに最短で辿り着く学びに重点を置いているため、児童が暗記に走りやすい指導法がマニュアル化されています。どうしてその答えになるのか、理由や原理を考えさせずに、教師が一方的に授業を進めていくやり方です。一人でも多くの在学生を学力上位校に合格させるためには、それが最も効率的ですからね。とはいえ、人には得手不得手があるもの。たまたま暗記が不得意だった子は、勉強に苦手意識を持つようになり、クラス内で“落ちこぼれ”の烙印を押されて、ヒエラルキーも落ちてしまうんです。
例えば、授業で先生が『じゃあ出席番号17番の~~さん、この問題の答えをみんなの前で発表して』というときがありますよね。もしその子の回答が間違っていた場合、教師によっては『~~さんはこう答えたけど、他のみんなはどう思う?』とクラス全員にふって、『ちがいまーす!!』といわせてしまうことがあります。あれって、答えを間違えた子はものすごく傷つくし、クラスメイトにばかにされる一因にもなり、教室での居心地がどんどん悪くなっていくんです。
一方で、学校は授業の進行スピードをクラスの平均値に合わせて進めていきます。そのため、暗記が得意な子や理解が早い子は、なかなか進まない授業に退屈して “吹きこぼれ”ていき、学校の必要性を感じなくなってしまう。最短で答えを求めるようにマニュアル化された指導法は、結果として落ちこぼれと吹きこぼれの両方を生んでしまっているんです」
こうした現状に嫌気がさして、不登校になる児童が増えることは想像に難くない。
ゴールが見えない学びの継続
二つ目の息苦しさの要因は「受験競争の早期化」だ。そのストレスのせいか、いまの児童は小学校に入学前の段階から荒れているという。前出の文科省の資料で、小学1年生を06年度と22年度で比較すると、「暴力行為」の件数が123人から6569人と53.4倍に、「いじめ認知件数」も6504人から10万4052人と15.9倍に膨れ上がっている。
「00年以降、6年間で中高一貫の教育を行う『中等教育学校』が増えはじめたことを皮切りに、小学校入学前から“お受験”教育を施される児童も増えていきました。その結果、日々の勉強に追われるストレスで暴力行為に走ったり、クラス内でヒエラルキーが低い子をいじめたりする子も出てきています。そうした中、子どもたちの間では、歪んだ自己責任論も流行しているようです。勉強ができないのは自己責任、いじめられるのも自己責任……。こうした自己責任論は大人の社会にも見られるため、それを見て育った子どもはヘルプすらもいいにくい状態なんでしょう」
三つ目の要因は、ゴールが見えない「学びの継続」だ。
「勉強に嫌気がさして不登校になっても、すぐに再登校を強いられたり、フリースクールへ入学させられたりする。もっとも、親御さんにしてみれば、それも仕方のないことでしょう。できるだけ子どもの将来のキャリアに傷をつけたくありませんし、親自身も就業中のキャリアを捨てて、不登校の子どもをつきっきりで面倒みるわけにもいきませんからね。
またフリースクールへ通わせるにしても、平均毎月3万円以上の授業料がかかります。それならば心のケアを目的とした学校よりも、名門塾経営のサポート校を選びたくなるのが親心。一方で、貧困層の家庭の子どもは、フリースクールへも通えず、再登校を余儀なくされてしまう。学校へ行く行かないにかかわらず、児童は学びの継続を求められるばかり……」
もっとも、いまのこうした風潮は、文科省が取り組む「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」(COCOLOプラン)が原因の一端を担っていると、増田教授は指摘。「COCOLOプランは、不登校児に対して“学びの継続”を推進する指針であり、心の問題がなおざりにされている」という。
復学を決意するも耐え切れず……
しかし、学びの継続は、ときに最悪の結末を招く恐れもある。警察庁発表の「自殺者数」データによると、小中学生の自殺者は、06年度には95人だったが、22年度は160人にまで増加した。その中には、不登校から復学していた児童も少なくなかったという。 「1番多い自殺の動機について、文科省は責任を逃れたいがためか『不明』と発表しているのに対し、警察庁は『学校問題』と明記しています。ある報道では、自殺した不登校経験者のうち約75%の子どもが再登校していたそうです。親の期待に添おうとして復学を決意したが、結局耐えきれなかったのでしょう……。不登校は子どものSOSであり、自分の命を守るためのギリギリの選択。我々大人は、不登校をネガティブな行為ではなく、生存のためのポジティブな行為と捉えてあげることも必要だと思います」 改めていま、学校には何が求められているのか。 「深刻な教員不足が続く中、日々、現場の先生方は児童をめぐる問題や、授業で導入されるIT知識の勉強などに追われて、アップアップしている状態。学校自体が制度疲労を起こしているため、いずれ大きな改革が必要になることは確かでしょう。その一つが、学びの改革。本来、学校は児童が暗記をする場ではなく、論理や思考法、感性を育てる場なんですよ。自分自身の感性を磨き、他者が持つ感性の面白さを知る。 例えば、理科の先生が“菜の花の根っこはどうなっているか”について、教えるとしますよね。そこでただ正解を教えるのではなく、児童に想像で描かせてみて、何でそういう根の形になるのか考えさせることが大切。実物は大根のような根の形をしていますが、もし、ある子が花のような根を描いて、その理由を『一つの花に一つの根っこが繋がってると思ったから』と、答えたとしたらどうでしょう。正解を見せた後に、『実物よりも、~~さんが描いた絵のほうがずっと素敵だったね』といってあげれば、きっとその子は菜の花の根の形を一生忘れないでしょうし、理科が好きになる気がしませんか? 学びを強要せず、ヒエラルキーを作らず、正しさは複数あることを教える。子どもに必要なのはこういう教育だと思います」 大人の社会でも、効率性重視のビジネス競争、ハラスメントやいじめが原因で心を病んでしまい休職する人は多いが、それ以上のストレスを子どもは感じているのかもしれない。