生徒の「主体的な態度」をどう測る? 学習評価の難しさ…中学校の教師は悩み、高校入試の内申書にも直結
定期テストで高得点を取っても、成績が伸びないのはなぜ? 近年は、そんな疑問を持つ中学生や保護者が増えているのではないか。いまの中学校で行われている学習の評価は、「三つの観点」に基づいてA、B、Cの3段階で行われ、それが5段階の成績表などに換算されている。「知識・技能」「思考・判断・表現」と同じ比重で評価の観点になっているのが、「主体的に学習に取り組む態度」だ。そんな抽象的なものを――と思うかもしれないが、評価の結果は高校入試の内申書(調査書)に直結する。

現場の教師たちには「主体的な態度」をどう評価するかが難題になっており、結果として全体の評価が「辛め」に付き、生徒の成績の平均が下がる傾向にあるなど意外な影響も出ているという。学習評価は子どもたちの力を伸ばすためにあるが、本来の目的に沿ったものになっているのだろうか。
「主体性」ではなく「従順さ」につながる?
「内申書を意識して生徒が発揮するのは、主体性ではなく従順さではないか」――。学習評価などをテーマに今年4月末に開かれた文部科学省の有識者会議で、専門家として発表した西岡加名恵・京都大学教授から率直な発言が飛び出した。学習指導要領の改定に伴い中学校では2021年度から導入された「主体的に学習に取り組む態度」の評価について、現場の悩みや混乱が大きいとして、「個別の観点にせず、思考力や表現力と一体的にみればよいのでは」と提案したのだ。つまり、評価の3観点のうち、主体的な態度は「思考・判断・表現」と統合し、「知識・技能」との「2観点」にするよう求める大胆な提言だった。
「主体的に学習に取り組む態度」について、現行の学習指導要領は、知識・技能や思考力、判断力などを身につけるために、「粘り強い取り組みを行おうとしている側面」「その中で自らの学習を調整しようとする側面」を評価すると説明している。
具体的な評価方法としては、「ノートやリポート等の記述」「授業中の発言」「教師による行動観察や児童・生徒による自己評価」などをあげている。学校現場では、生徒に授業の「振り返りシート」を書かせて評価している教師が多いようだ。
西岡教授は、粘り強さや自己調整は、リポートや発表などの課題に取り組む際に必要だとした上で、そうした態度は「思考・判断・表現と表裏一体で、わざわざ観点に分けるとなれば、無理に区別にせざるを得ない」「形式的な活動で評価することに陥りがちだ」と指摘。「振り返り」についても「成績付けに使えば、子どもたちは教師に気に入られるように書こうとするので正直な振り返りができない」とした。また、現行の評価方法をめぐり「学校現場の先生方は本当に悩んでおり、粘り強さや自己調整を評価するからといって全てを成績付けの対象にする必要はない。先生方の成績付けの悩みを減らし、生徒が主体的に思考・判断・表現するような授業への改善こそに力を注ぐべきだ」と提言した。
形式的な評価になりがち――「関心・意欲・態度」から変更
現行の学習指導要領では、学習評価の方法が一新された。それまでは、「関心・意欲・態度」と「思考・判断・表現」「技能」「知識・理解」の4観点だったのが、3観点に統合され、「関心・意欲・態度」が「主体的に学習に取り組む態度」に置き換わった。


その背景には、「関心・意欲・態度」の教師による評価が、「手を挙げる回数や毎時間ノートを取っているかなど、形式的、表面的なものにとどまっている」(文科省)という課題が指摘されていたことがある。実際、現場の中学校ではノートを提出させて教師がその書きぶりを評価したり、授業中の発言や質問の回数、忘れ物や宿題提出の状況で機械的に評価したりする傾向がみられた。現場の教師からは「関心や意欲というより、まじめさを評価することになっており、それは本来の学力とは言えないのでは」「保護者に問われた時に説明するために、機械的な評価にならざるを得ない」という疑問の声が上がっていた。大手教育産業の中学生向けガイドブックには「積極的に質問をしよう」「授業中は先生の目を見てうなずこう」という内申点を上げる「マニュアル」が提示されているのが現状だ。確かに、このテクニックを駆使して評価を高めようとすることは、主体性の発揮とは言えないだろう。
そうした問題意識から現行の制度では3観点に変更されたのだが、結果として、この「主体性」の重みは「関心・意欲・態度」の頃に比べて増している。各観点の評価を均等に点数化して5段階の成績評定に換算している学校が多く、比重が4分の1から3分の1に増えたためだ。教科にもよるが、「知識・技能」の評価は定期試験などのペーパーテストが主体で、「思考・判断・表現」はリポート、発表などが評価の対象になる。評定に定期試験の得点の反映される割合は、以前よりさらに低くなったことになる。
「CCA」はあり得ない? 全体の成績は低下傾向に
当初、3観点による評価をめぐり学校現場が混乱したのは、3段階評価の付け方に各地の教育委員会で「お達し」が出たことだった。文科省の見解などをもとに、3観点は相互に関係しているので「知識・技能」や「思考・判断・表現」がCなら「主体的な態度」がAという評価はあり得ない、他の観点でも(一定の期間には)結果が伴うはずであるという論理で、特に「CCA」は付けないように、と校長が徹底する学校が大半になっているようだ。
3観点の時代には、「関心・意欲・態度をみることで、努力はしているが点数が伸びない子を『救済』することはできた」という実態が教師からは聞かれる。「5」や「1」の割合が決まっていたかつての相対評価と異なり、学習指導要領の目標に基づく、いわゆる「絶対評価」なので、提出物や宿題などを忘れずに提出し、努力している子は定期試験などの結果が伴わなくても「A」を付けていた、というわけだ。しかし、それが、新観点の「主体的な学習に取り組む態度」では難しくなってしまったという。各観点の重みが増したこともあり、全体の成績は「辛め」に付けられる傾向が指摘されている。
東京都は毎年、都内全公立中学校の成績(評定)分布の状況を公開しているが、それによると、確かに現行の学習指導要領が実施されて以降、「5」「4」の割合が減り、「1」「2」が増える傾向にある。
資質・能力を伸ばす評価に――1点刻みの入試で使う矛盾
それでは、学習評価は何のためにあるのだろうか。学習指導要領は児童生徒の「資質・能力の育成」をその役割と位置づける。生徒の評価を、教師の指導や教育の手法の改善につなげることも求められている。
思考力や表現力を評価することがきっかけとなり、一方通行の授業が対話型に改善され、児童生徒が主体的に関わる授業につながる効果もみられる。そうした意味でも、評価のあり方は学校教育全般に大きな影響を及ぼす重要な要素と言える。

結局、多くの専門家や学校関係者が指摘する問題は、その評価が成績の「評定」に換算され、内申書で点数化して1点刻みの入試に使われることなのだ。学習指導要領の目標に照らして「A」(十分満足できる)「B」(満足できる)「C」(努力を要する)の3段階で示された評価を、5段階の評定に数値化する基準は市町村教委や学校によりまちまちとみられ、同じ「BCB」でも「3」になる場合と「2」が付く場合がある。
そもそも、評価の付け方には学校や教師によって違いは避けられず、一律に点数化して入試で扱うことには限界があるだろう。
その一方で、一発勝負の学力試験による選抜だけでは知識偏重になり、本来の学力を適切に測る方法とも言えない。定期試験のみで学習評価を行うことも同様だ。中学校の校長らには、「内申書は大学入試の総合型選抜のように緩やかな使い方をしてもらいたい」という声も上がる。学校間で評定には差があることを前提に、その生徒の資質を多面的に見る入試の中で使うなら受験生も「納得感」が得られるのではないか、ということだ。
高校入試のあり方含めて幅広い論議が必要

公立高校は過疎化が進む地方で定員割れが深刻になり、統廃合が進み、進学先の選択肢が狭まる問題が生じている。多くの高校で推薦入試が成り立たないため、結果として学力試験と内申書による一般入試に一本化する県が相次ぐ。内申書の比重などの扱い方を公表していない県も一部にある。
大都市でも公立高校の定員割れは広がっているが、その背景には私立高校進学者への就学支援の充実がある。公立中学校での内申点を不安視し、私立中学受験に流れる層が少なくないとの指摘もある。
公立高校の入試制度は設置者の都道府県に委ねられ、文科省を含めて全国的な高校入試のあり方について論議される場はほとんどない。高校入試は依然として最も多くの人が受ける入試であり、学習評価と内申書の問題が生徒に及ぼす影響は大きい。「高校を取り巻く状況が大きく変わる中、全国規模で入試のあり方も論議する時期に来ているのではないか」と全国高校長協会の宮本久也事務局長は言う。
学習指導要領が掲げる本来の「役割」を果たすためにも、普段、複雑でなかなか理解されない評価の問題に注目し、地域の事情を踏まえつつ高校入試との関係についても幅広い視野を持った論議が求められている。