

















あるのは映画の中だけ?
日本軍の極秘報告
「歩兵第七連隊」の命令書/成果表
1937年12月15日 命令書「徹底的ニ敗残兵ヲ捕捉殲滅セントス」
1937年12月24日 成果表「刺射殺数6,670人」





発行日:1938年1月4日 著作権 © ニューヨーク・タイムズ
アメリカ難民の中に元中国人将校
大佐と側近、南京での犯罪を日本軍のせいにしたことを認める
ニューヨーク・タイムズへの通信
上海、1月3日 ― 難民福祉委員会の外国人委員として南京の金陵学院に残っていたアメリカ人教授たちは、脱走した中国陸軍大佐とその部下6人をかくまっていたことを知り、ひどく当惑した。実際、教授たちは難民キャンプで大佐を副官にしていた。
中国軍が南京から撤退する際に制服を脱いでいた将校たちは、大学の建物の1つに住んでいるのが発見された。日本軍の捜索隊が、彼らが建物内にライフル6丁、リボルバー5丁、取り外した機関銃1丁、そして弾薬を隠していたことを発見した後、彼らは身元を自白した
元中国人将校たちは、アメリカ人や他の外国人の前で、南京での略奪行為を自白し、またある夜、難民キャンプの少女たちを暗闇の中に引きずり出し、翌日、その攻撃は日本兵の仕業だと主張した。
元将校たちは逮捕され、戒厳令下で処罰され、おそらく処刑されるだろう。
ニューヨーク・タイムズ

ザタイムズ1937年12月24日付けより
『初回会合の声明で、陶氏は過去10年間、反日親共産政策を推進することで中国国民を言葉では言い表せないほどの悲惨と苦難に導いたとして旧政府を非難しましたが、日本軍の到着により南京の平和と秩序が回復したと宣言しました』











蒋介石(しょうかいせき)が率いた主な軍隊は、国民革命軍(こくみんかくめいぐん)、そして後にその正統後継として中華民国国軍(通称「国民軍」「国軍」)と呼ばれた軍です。
歴史的な変遷と名称
- 1924~1927年:国民革命軍の創設
- 広東の黄埔軍校を拠点に蒋介石が実質的な指揮を執るようになる。
- 北伐(1926~1928年)で全国統一を目指した軍。
- 1928~1949年(大陸時期):国民革命軍=国軍
- 南京国民政府成立後、正式に「国民革命軍」と称し、蒋介石が軍事委員会委員長として最高指揮権を握る。
- 実質的には「蒋介石の軍」「国民党軍」と呼ばれていた。
- 日中戦争(1937~1945年)では22個軍集団・約500万人の大軍を擁した(名目上)。
- 1947年憲法施行後:正式に「中華民国国軍」
- 名称が「国民革命軍」から「中華民国国軍」に変更。
- しかし一般には引き続き「国軍」と呼ばれている。
戦時中、中国では国民党や共産党批判の民衆のデモまで起きてたんですが綺麗に中国では忘れ去られてます
写真の彼等は恐らく文化大革命期に大きな被害に遭われたと推測されます



例えば当時日本軍により蒋介石軍が漢口から駆逐された事を聞きつけた中国人民衆がすぐに街に戻ってくる写真が実際にありますし、当時なにより日本軍は自分達の生活秩序を馬賊匪賊から守ってくれる治安維持軍というのが漢人の共通認識でした。








元中国軍将校らは、アメリカ人その他の外国人の面前で、南京での略奪行為を自白した。さらに、ある夜には難民キャンプから少女たちを闇の中に引きずり込み、翌日にはその襲撃を日本兵の仕業だとでっち上げたことも認めた。
https://www.nytimes.com/1938/01/04/archives/exchinese-officers-among-us-refugees-colonel-and-his-aides-admit.html
朝日・本多勝一

中国人と結託した一部の反日系米国人は、『南京大虐殺』を政治的プロパガンダとして利用し、広範なデマを拡散しています。
しかし、当時米国自身が国内で黒人に対するリンチを黙認し、さらには『日本人狩猟許可証』を発行していたという事実があります。

『南京大虐殺』の肯定や『原爆』を揶揄して日本軍=絶対悪とみなし自国の戦争犯罪に関して頑なに認めない反日米国人にはこれを見せると効きます。
1944年日本兵の頭部を茹でる米軍兵士
大東亜戦争中の1944年5月22日に雑誌『LIFE』の35頁、『今週の写真』に掲載されたものです。
アリゾナの米国人女性がボーイフレンドがニューギニアから送ってきた日本兵の頭蓋骨を笑顔で眺めています。
このように日本兵の頭蓋骨が戦利品とされる事例もありました














