<「世界で通用する18歳」を育てるために親や教師は何をするべきか? 在米作家・ジャーナリスト冷泉彰彦氏の新著『世界の一流は「子ども」に何を教えているのか』(クロスメディア・パブリッシング)より一部を抜粋>
■学校と塾の「二重教育」が当たり前の日本
日本の特に都市部では、50年以上前の昭和の時代から当たり前になっているのですが、日本では基本的に、「学校に属して学ぶ」以外にもうひとつ、別の教育機関に通学して学習をします。
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塾や予備校というのがこの「別の教育機関」です。そして、非常に奇妙なことなのですが、学校は文部科学省が管轄していますが、塾や予備校は経済産業省の所轄であり、また許認可はないし、教員も無資格で構わないことになっています。その一方で、義務教育期間の学校は無償、また高校も原則無償ですが、塾は営利企業がやっているので有償です。
どうしてこのような「二重教育」が定着しているのかというと、日本の小中高のシステムというのは、公教育だけでは、次の段階の学校には進学しづらいシステムになっているからです。
まず、高校受験ですが、都道府県によって違いがあり、また公立と私立や国立はまた事情が異なるのですが、基本的に「中学校でちゃんと勉強すれば合格する」ようにはできていません。理由としては、高校側が中学の内申書を信じていないか、もしくは内申点と中学名から絶対的な学力を推定するノウハウがないか、または内申点の学校間格差を推定する行為が禁じられているからです。
■入試のための学習は日本の学校ではできない
実際は違うのに、中学校の成績の差、たとえば「A中学のA評価は、B中学のB評価と同じ」というような「高校側の評価」をするようになると、義務教育であるA中学とB中学の差がバレてしまうので禁止ということです。とにかく、内申点だけでは合否判定ができないので、高校は独自の入試をやって学力判定をするのです。
もうひとつは、高校入試の目的は「選抜」であり、全員が100点になるような入試問題では選抜ができないので、理屈の上では中学のカリキュラムの範囲内で収まるようにしながら、「難問奇問」を出題するようになるということです。
こうした入試への対策の学習を行うには、基礎学力がある程度ないと効果がありません。ですが、中学までの義務教育では、習熟度別の固定的な学級編成は原則として禁じられており、多くの場合、導入される教科も限られています。
そのため、基本的には平均的な内容の授業を全員に対して行うことになります。泳げない子を足の立たないプールに入れては危ないので、400メートルの個人メドレーを秒単位で競うような子でも、90センチの水深のプールに入れる……みたいな話です。ということは、事実上は学校では入試学習はできないことになります。
<日本の親が強いられる「二重出費」>
ということで、高校側は独自の入試をやるし、その入試で合格点を取る方法は、学校では教えてもらえない、となるわけです。
そこで塾というものが社会的に不可欠になり、子どもを持つ親は「二重出費」を強いられます。いくら教育を無償化しても、最後にはこの塾の費用がバカにならず、親の家計を圧迫します。こうしてコスパ最悪の塾社会ができているわけです。
その結果として、少子化が加速することになるし、同時に塾などに費用がかけられる世帯だけが、偏差値の高い学校に子どもを送ることができるわけです。
それ以上に問題なのは、「時間のムダ」ということです。中学校では基礎しか学べない、受験勉強は塾でということになると、学校での教科の時間は意味がないことになります。
変化の激しい現代では、時間があれば英語やコンピューター、あるいは真の教養などをどんどん学んで経験することが求められています。にもかかわらず、学校と塾の両方に時間を割かなければならないというのは、コスパだけでなくタイパとしても最悪の制度だと言えます。
■日本の数学教育に潜んでいる問題
OECD(経済協力開発機構)が行う国際学力到達度調査(PISA)では、日本の数学リテラシーは依然として極めて高い位置にあります。たとえば2022年の調査では、OECD加盟37カ国の中で1位(全体では81カ国・地域の中で5位)につけています。
一方で、アメリカの順位はOECD加盟国中28位(全体34位)でした。そんな中で、アメリカの大都市とその郊外では、ショッピングモールの一角に必ず「KUMON」の青いマークを見るようになっています。ほかでもない日本式の数学を中心とした塾であり、近年はインド式、シンガポール式などに押されているものの、全米で定着しています。
こうした事実からは、日本の数学教育がアメリカを引き離しつつ席巻しているように見えるのですが、実態はそれほど単純な話ではありません。
問題は、日本とアメリカの数学教育の「進度」における変化です。
1990年代までは、日本から親の転勤などでやって来てアメリカの学校に転入する子どもたちは、数学の進度で悩むことはまったくありませんでした。日本の子どもたちは、英語は初心者でも「数学ができるから」という理由で自信を持つことができ、それがアメリカの現地校に溶け込むのによい作用をしていたのでした。
事情が変わっていったのは2000年前後からです。アメリカの教育改革が進み、大学入試が過熱していく中で、高度な数学を履修することが受験におけるアピールとされたことが大きいのだと思います。
<数学の学習で進む「日米の逆転」>
全国レベルでは、アメリカの数学リテラシーの平均値は低いままなのですが、東海岸や西海岸など教育熱心な地域では、数学の学習は、年々難度を高めていっています。一方で、日本では「ゆとり」の見直しが進んだはずなのですが、完全に戻ったわけではないという中で、日米の逆転が進んでいるのです。 そんな中で、日米の間を行き来する子どもたちにとっては、90年代以前の常識が通用しないことになっています。 たとえば、現地校で「どのクラスに入るか?」という問題があります。ミドルスクール(中学校)以上の場合は、アメリカの数学クラスは、「特急コース」から「普通コース」まで、同一学齢でも多くの段階に分かれています。そこで転入生は実力判定試験を受けて、「適切な」段階のクラスに入れられるのです。以前であれば、日本から来た生徒はほとんど自動的に「上級コース」に入れたのですが、現在ではカリキュラムの逆転があるために、簡単には入れなくなっています。 問題は、コース別の格差が大きいということです。「上級コース」の進度は速いのですが「普通コース」に入れられてしまうと、そこにあるのは依然として「昔ながらのアメリカ式」であって、基礎中心になってしまうのです。 ■思考力重視の「日本式」の強みもある アメリカは確かに格差社会であり、特に教育の到達度ということでは、家庭の経済的事情や居住地域によって差が激しくなっています。その中で、少なくとも名門大学に進学して、先端技術を担う産業に就職するという場合には、求められる数学の学力は日本よりはるかに高いし、またそのための数学教育の場はふんだんに用意されています。OECD調査での「37カ国中28位」という平均値では測れない世界がそこにあるわけです。 では、日本の数学教育は「もう遅れてしまった」ので、全面的にアメリカ式がいいのかというと、私は必ずしもそうではないと考えています。練習量を増やし、応用問題に取り組んで思考力を鍛える日本式のよさも十分にあるのです。 何でも関数電卓を叩かせるアメリカ式のスピード感も悪くはないのですが、手計算の着実性を訓練する日本式にも、長い伝統に裏打ちされた強みがあります。その強みを活かして、遅れた部分を補う改革が求められています。 たとえば、悪しき平等主義を克服して、到達度別の指導体制を整えるとともに、最先端レベルでは現状プラス2学年程度の飛び級は必要ではないでしょうか。その際にも、思考力重視、作業訓練の質・量重視という「よき日本式」を保つことができれば、低迷する国際競争力も、中長期的には好転させることができるのではないかと思います。
